FF14と歴史学


(前置き)
・来年度以降、教養科目のとある授業(大学1年向け)で、「FF14と歴史学」というような内容で講義したいなと考えています。全15回の授業のうち、1~2回を目安に。
※身バレを防ぐため、実際のシラバスには「FF14」という表現は一切使用しません(笑)検索しても出てこないように気を付けます><
・「歴史学とは何ぞや」という話をいきなりしても、つまらないと感じる学生さんたちは多く、導入としてアニメ・ゲームの力を借りるのはとても有効だと感じています。文系学問の危機が叫ばれている昨今、一人でも多くの方に興味関心を持ってもらうのが研究者の使命だと思っております。
・また、リアルだけでなく、ゲームを通し(ロドスト日記などを通し)、光の戦士の皆さんに一人でも多く伝えることができたのなら、研究者としてこれ以上の喜びはないです。


1.人は「歴史する」、ゲームでもアニメでも
※出典:松原宏之(2017)『史苑』77巻2号
◆「世の人は歴史に関心がない、こう嘆くのは近頃の歴史家の決まり文句のひとつです」
・「暗記科目はうんざりだという怨嗟の声」「昔のことなんかどうでもいいじゃん。今のオレたちには関係ないよ」(1頁)
→しかし、歴史なしに生きている人はいない。人はいつも誰もが「歴史している」。

◆「歴史は関係ないと言い放つだけでは、空っぽのままなので、SNS経由でつながりや物語を求める。ネット上の止めどない交信は、その空洞を満たすのが簡単ではないことを示唆している。終わりなき日常を適切に過ごすためには、そこを濃密に充填するなにかをどこかで編まねばならない。」(2頁)
→若い世代にとってそれはどこなのか⇒ゲーム
→スマホを握った人々がゲームアプリで日々歴史を編んでいる。
※本論文では、「フェイト(FateGrandOrder)」について触れられている。

☆本講義のテーマ:人は「歴史する」、FF14でも!
→「歴史像再検討の機運は、サブカルチャーの中にも芽吹いているように思います。いやむしろ「サブカル」の中から、〔中略〕いったいこの世界の成り立ちをどう考えるべきかについての切実な、自分の日常にひきつけた問いかけが立ち上がるようなのです」(5頁)
⇒FF14もまた、現代社会が抱える諸問題への問いかけ(後述6章)や、歴史への疑義(後述5章)といった重要な課題を提示してくれている。

※ゲームプレイヤーの中には、歴史に限らず学問に興味をもっている人も多いのではないか。コンテンツを楽しみつくすために、関連する情報を全て吸収する凄みすらある。
⇒「エオルゼア大学」の存在 

※FF14とは?・・・正式名称『ファイナルファンタジーXIV』(略称FF14)。スクウェア・エニックスが開発したファイナルファンタジーシリーズのナンバリングタイトル第14作目にあたり、ファイナルファンタジー11以来2作目のMMORPG(大規模多人数同時参加型オンラインRPG)。
※エオルゼアとは?・・・FF14世界には3つの大きな大陸があり、そのうちの一つ、スタート地点の大陸(文明圏)をエオルゼアと呼ぶ。

2.歴史学とはどのような学問なのか?
◆「歴史学は科学である」
・ごく単純な史実を求めるのにも、一つ一つ根拠を挙げ、一定の手続きに従った分析を行うことが求められる。

◆単なる暗記科目ではない
・歴史学を学ぶことで、客観的かつ論理的な思考方法を学び、多様な物事の考え方があることを理解する。具体的には?→過程・原因を考える
例)1894(明治27)年 日清戦争勃発
→どうして日本と中国(清)が戦争をしなければならなかったのか、という過程・原因を考える。
※その後の日露戦争、日中戦争、太平洋戦争なども
→近代日本における戦争の結果は既知の事実。「ああすれば良かった」「そもそも戦争しなければ良かった」という議論に意味はあるのか?
→当時の日本(日本人)の戦争認識、なぜ戦争という選択肢を選んだのか、といった問題を考えていくことが重要⇒「歴史的思考力」の養成。

☆FF14世界の歴史も同様の視点が重要。
→なぜこのような事件が起きたのか(例:霊災など)を考えることが、FF14の世界の根幹を知ることに繋がっていく。

3.歴史学は何かの役に立つか?
◆歴史は好きだけど、将来のことも…
→不安視する学生も多い。
◆歴史学≠趣味の学問→歴史学は、これからの人生を歩むうえで有用な学問。
◆最も大事なのは歴史的思考力 ※これからはAIの時代?
・現在世の中で起こっていることはすべてに歴史的な背景がある。このことに留意できる歴史的な知識とそれを参照して考えられる思考力、つまり知性が必要。
・個人の人生は長く生きても百年。人類の歴史は何千年も続いている。その中には膨大な数の人生があり、出来事がある。こうした歴史を学べば、視野が飛躍的に広がり、物の見方が豊かになる。「人生を豊かにする教養」。
※参考:山本博文『歴史をつかむ技法』新潮社、2013年

【コラム】役に立つ「理系」?役に立たない「文系」?
◆「役に立つ」とは?→二つの次元がある。
 ①目的遂行型・・目的がすでに設定されていて、その目的を実現するために最も優れた方法を見つけていく。理系的な知。
 ②価値創造型・・「役に立つ」ための価値や目的自体を創造する。文系的な知。

4.歴史を知っているとFF14が100倍楽しい!
※参考文献:

・世界設定本第一弾『EncyclopediaEorzea』(以下『EE1』と略記)

・世界設定本第二弾『EncyclopediaEorzea VolumeⅡ』(以下『EE2』と略記)

◆FF14の人物・事柄には実際の歴史との符合点が多い。例えば…
・ひんがしの国(FF14に登場するとある国)の歴史→日本の歴史に類似。
・日本の歴史を知っているとニンマリできる。
→日本人プレイヤーのほとんどが、ひんがしの国に日本らしさを感じ取っているはず。
⇒それは、義務教育の「社会科」で日本の歴史を学んできた賜物。何かしらの知識があることで、ゲーム(を含めた創作物)を一層楽しむことができる。

「「帝」を頂点とする政権、すなわち「朝廷」による統治は長く続いた。だが、約1500年前、すなわちエオルゼアでは第六星暦初頭にあたる時代に、帝位争いをきっかけとする内戦が勃発。やがて、ふたりの「帝」が並立し、国家を東西に二分する事態へと陥ることになる。この東西朝時代は以降、300年弱続くことになるのだが、その間、朝廷の権威は落ちる一方となるのだった」(『EE2』79頁)
→南北朝時代を想起。
→細かいことを言えば、朝廷の権威が決定的に低下するのは、南北朝時代より前の鎌倉時代、1221年の承久の乱であるし、両統迭立の問題は鎌倉幕府滅亡より前、南北朝時代は100年に満たない。しかし、漠然とした日本史の流れというものは踏襲されている。

「戦乱の時代は、600年以上に渡って続いた。各地の豪族たちは互いに目を光らせ、隙あらば戦を仕掛けて領地を奪い合ったのである。そんな戦の絶えない時代となれば、戦場での活躍がものを言うわけで、武才だけを頼りに農民上がりの兵卒から、領地持ちの武将へと立身出世を遂げる者も現れ始めた。では、武才のない者はどうしたのか。陰謀を張り巡らせ、特に主を裏切ることで生き延びようとしたのだ」(『EE2』79頁)
→「戦国時代」「豊臣秀吉」「下剋上」といったこの時代ならではのキーワードを想起。
⇒この他にも、ひんがしの国と日本の歴史の類似点は枚挙に遑がない。
※「木簡」「大王」「幕府」「中央集権化」「鎖国」「開港」

・ウリエンジェ「日出ずる地にて生まれし 紅き輝き 烈火となりて 日沈む地にて生まれし 蒼き輝きを喰らわん」(FF14の登場人物のとある台詞)

→日本が随の皇帝に宛てた国書にあった文章「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)を想起。

・東アルデナート商会(FF14に登場する商会)
→東インド会社(アジア地域との貿易独占権を与えられた会社)を想起。ここで言う「インド」とは、ヨーロッパと地中海沿岸地方以外の地域のこと。東アルデナード商会もまた、東方交易で財をなした商会で、そのままのイメージ。

・メ・ナーゴ(FF14の登場人物)

→この写真から想起できる人物:木口小平

→木口小平とは、1894年(明治27)の日清戦争で戦死した日本陸軍兵士。ラッパ手として、死しても口からラッパを離さなかった逸話が有名となり、戦前の小学校修身教科書に英雄として扱われていた人物。この逸話を知っているだけに、勝手にハラハラしてしまう。

・日本史以外でも→リリジュ女史(FF14の登場人物、ゲーム内で有名な紀行作家)
→紀行作家イザベラ・バードを想起。性別も同じ女性。『日本奥地紀行』『朝鮮紀行』を記した人物で、リリジュ女史の代表作『東方紀行』と本の名前も対象となる地域までも一致。

・聖ゾーゾーナン修道会(FF14に登場する組織)
→いくつもの宣教団を遠征に派遣したウルダハに存在したという修道会。世界各地への宣教に務め、日本に初めてカトリックをもたらした「イエズス会」を彷彿とさせる。

☆ゲーム(FF14)だけでなく、歴史の教養は、あらゆる創作物を一層楽しむことを可能とする。人生に彩を与えるもの。
※注意:「文系=教養」ではない。

5.FF14の歴史に対する厳しい眼差し―史料としての回顧録―
◆「歴史」は専門家以外の人間も語りやすい。史料さえ提示すればそれっぽくみえる。
・歴史学の技法・作法を知らない人が、好き勝手に歴史を語っている状況。
・史料もただあればいいのではない→徹底的な史料批判が必要。史料への疑義の目も必要。
⇒FF14世界における歴史への眼差しは、大変示唆に富んでいる。

(例1)フォルタン伯爵(FF14の登場人物)が執筆した回顧録『蒼天のイシュガルド』
・「史学的価値の高い資料」(『EE1』66頁)と評価されているが、回顧録の史料的価値は限定的。
※回顧録・・・記録ないしは文学作品の一形式で、ある事件、事象や時代に関する自らの経験を記したもの。自伝と重なる部分も多いが、自伝が個人生活・内面生活に重点を置くのに対し、回顧録は、社会との関係や、それらに対しての自らの記録や感情・反応などに重点が置かれている。そして何よりも、回顧録は後日の執筆・編集になるので、記憶の風化や変化が生じてしまうことがある。また意識的に書きたくないことを書かない場合もある。

・FF14の世界で「史学的価値の高い史料」と評価されていることの意味→FF14世界の歴史学の水準は低い(現代日本の歴史学と比較して)。
※世界設定本(第二弾)では、「筆者は長らく同国の政治の中枢にいた人物ゆえに、偏った視点で描かれているはずだという批判もあろう。しかし、努めて冷静に中立的に事実を記そうとする筆者の気概を、俺は評価しているのだ」(『EE2』100頁)と、回顧録の問題点も指摘しており、FF14世界の歴史学の水準の低さは、ゲームの内容にも関わるため意図的に演出されている可能性がある。

(例2)1388年 ウルダハ、第二王女ササモ・ウル・サモがクーデターを試みるも失敗
・エオルゼア世界における史実(『EE1』の年表に明記)。
→しかし、世界設定本(第二弾)では、わざわざこの事件を取りあげ、「王室が今に伝える「正史」は、本当に正確な事実なのだろうか」(『EE2』130頁)と、歴史に対する疑義を我々に投げかける。「歴史とは熟した蠟のように柔らかく、歴史家とは統治者が持つ印章である」と、皮肉すら込めて。
→ササモが残した「日記」からは、正史とは異なる歴史像が見えてくると指摘する。

・「日記」は一次史料・・・一次史料の重要性についても、FF14は伝えてくれている。
→しかし、一次史料に「徹底的な史料批判」を加えて、歴史を検証するのが歴史学という学問。日記をそのまま信用してしまうことも禁忌(偽史料の可能性など)。

◆史料を後世に残すことの重要性
・ストーリーテラー(FF14の登場人物)「消してはならぬ、大切な記憶は、文字を使って記しておかねばなるまい。ゆえに我らはヒストリアンに、しっかりと書き記させているぞ?」
→FF14の世界では、大昔に過度な文明否定の動きがあり、貴重な歴史的資料の散逸を招き、資料がほとんど残されていない時代もある(『EE1』29頁)。

・フォルタン家執事「「過去は未来への道標」だと申します。私は一介の執事に過ぎませんが、歴史に立ち会った者として、正しき事実を、次の世代に語り継いでいこうと思うのですよ」(『ファイナルファンタジーⅩⅣマガジン 2016年秋号』)
→「語り継ぐ」では駄目。何代も何代も語り継がれる中で、どこかで事実ではない話が盛り込まれたり、誇張される可能性。不都合な話はなかったことにされることも。

◆FF14世界における重要な史料
・アラガントームストーン(古代のFF14世界の記憶媒体)
・召喚士・学者の武器(本)
・エオルゼアの都市民が情報源として楽しんでいる刊行物(『ハーバーヘラルド』グローバル情報誌、『ミスリルアイ』経済情報誌、『週刊レイヴン』ゴシップ誌)
→何百年後、今私たちの身の回りにある何かが史料になる可能性。
→このレジュメも、数百年後の人が見たら、「2010年代の人々がゲーム内で知的遊戯を楽しんでいた証拠」の史料となるかもしれない。
※過去視できる光の戦士や、長寿のドラゴン族は、存在そのものが史料。

 

6.FF14の世界観を題材に歴史研究(っぽいこと)をしよう!
(1)FF14の世界観をより楽しむための基軸―「文明―野蛮」理解と憎しみの感情―
◆FF14の世界観を捉える上で最も重要なポイント
・「文明―野蛮」という理解:FF14世界の価値基準と言い換えても良い。

・顕著な例:ガレマール帝国
→自国こそが文明国であると信じて疑わず、その他の国を野蛮な国と断ずる。蛮神を召喚する獣人だけでなく、エオルゼア民も「蛮族」と呼称。

 

◆19世紀の国際社会においても同様の価値基準があった
・「文明という思想基軸のもとに、異なった空間に存在する社会や人間の状態を時間的な前後関係に置き換え、そこにある多様性を文明化段階の到達度の違いとして配列するという世界の捉え方」「欧米社会は人類進歩の頂点に位置し、他の社会はそれ以前の遅れた段階にあるとみる世界認識」→当時の国際規範意識(山室信一、2001『近代日本のアジア認識』所収)
・「文明」の普及のための戦争は正当化される→日本においても、19世紀末頃には、日本社会の大勢が「文明」のものさしによって、帝国主義の時代の「弱肉強食」の世界観を理解し、「文明」の普及のための戦争を正当化する見方を有していた(山口、2015)。「文明対野蛮」の戦争として正当化されていたものといえば、1894年(明治27年)の日清戦争が最も有名。

◆FF14の戦争も「文明対野蛮」の戦争である
・帝国側だけの認識ではなく、帝国と敵対しているエオルゼア側もまた帝国を野蛮視。
・ゲームで強調→帝国の「残虐性」「暴力性」。
⇒帝国にとって、エオルゼア民を含む「蛮族」を駆逐することは、野蛮を挫くこと。一方のエオルゼア民にとっても、帝国との戦争は帝国の「野蛮」を挫く戦争として正当化。
・「文明―野蛮」理解は、国・人の善悪に容易に結びつく。そして、帝国側に顕著であるが、野蛮な対象には、蔑称が使用され、暴力も容認されていく。暴力的行為が野蛮な行為であることは、都合よく忘れ去られる。
・他者表象=自己認識の反映=対象として意識された他者に対する関係意識の反映
→そうした他者認識の現れこそ、「文明―野蛮」という基準において、帝国は「文明国」であるという強い自己認識(自意識)を支える根拠となる。
⇒「文明国」たる帝国こそが「野蛮」な帝国外の地域を善導すべき存在であるといった自己認識を形成していた。

◆「憎しみ」の心、「怒り」の感情
・感情の研究は、心理学の領野であるが、歴史学にも「感情史」というジャンルがある(森田直子「感情史を考える」『史学雑誌』第125編3号、2016年3月、特集「感情の歴史学」『思想』1132号、2018年8月など)。
・戦争をする上で重要となるもの→「敵愾心(憎しみの心や怒りの感情)」。
・感情心理学・・・「怒り」の感情:闘うことの準備態勢を作り上げるものであると定義(ディラン・エヴァンズ、2005)。
→相手への憎しみの感情(敵愾心)がなければ、相手を殺すことはできない。戦争の勃発とともに、否応なしに敵愾心の宣揚がはかられることは、戦争を遂行する上で必要不可欠。
・FF14世界でも同様
→エオルゼア側に立つ我々光の戦士もまた、帝国を倒す大義名分が必要→帝国は倒すべき悪でならなくてはならない。
・実際、「新生」から続く長い旅路の中で、光の戦士は帝国の横暴を数々目にする。プレイヤーが帝国はやっつけられてしかるべきだ!と思わないことには、ストーリーが進まない。
※FF14に登場する非道なキャラクター・・・帝国への悪感情を抱かせるために必須の存在。

◆小括
・FF14世界と19世紀~20世紀における国際規範意識の符合はおそらく偶然ではない。
・FF14の素晴らしい点・・・歴史の表面的な部分(ビジュアル面)だけをゲームに取り込むのではなく、当時の世界像や価値基準も同時的に取り込んでいる。
→現在の価値観で当時の世界を評価することは、歴史学の禁忌。FF14は同時代の視点で同時代の歴史・世界像を捉えようとしている。

(2)エオルゼア民衆の獣人(蛮族)観
※『EE』発売前の論考

◆歴史学研究の中の一ジャンル→「対外観(対外認識研究)」
※例)日本人のアメリカ観、イギリス観、西洋観、アジア観、中国観など
・対外観研究の現代的意義・・・社会を生きる上で、あるいは国際社会を考える上で、誰が誰にどのような眼差しを向けているのか、という点→現在を生きる我々にとって喫緊の課題。

◆FF14の世界もまた人と人との関係で成り立っている
・FF14の世界では、「人(ヒト)=人間種族」が生きており、また「人(ヒト)」以外の獣人(蛮族と呼称)も生きている。「異民族」が存在する以上、その異民族に対する眼差しは自然発生的に表出する。そしてそれは、ゲーム内において往々にして確認することができる。

◆本研究の課題:「エオルゼア民衆(ヒト種族)の獣人(蛮族)観」
・検討方法→実際のゲーム画面を引用してその実証的把握を行う。
※具体的には、宿屋で何度も閲覧できるメインクエストと蛮族クエストを参考資料として扱う。
・ここでいう「獣人(蛮族)観」とは、「好き・嫌い」などの感情レベルのもの。

◆蛮族という呼称について
・代表的な定義:①蛮族=獣人、②人(ヒト)以外の人間型の民族、③蛮神を召喚したもの

・ウルダハで発行されている経済情報誌『ミスリルアイ』vol.2掲載記事
「近年、獣人の一部を「蛮族」と呼ぶ風潮が広がりを見せている。
帝国が蛮神を呼び降ろした民を「蛮族」と認定し、徹底的な弾圧を加えていることが広く知れ渡ったためだ。彼ら獣人を都市内に受け入れるべきか否かについては、我がウルダハにおいても重要な政治的問題として取りざたされ、十余年前に砂蠍衆が獣人排斥の方針を打ち出すこととなった。かくして都市内から獣人は締め出され、国際市場からシルフ族のクリスタル商やゴブリン族の古物商の姿が消えたのである。」(『ミスリルアイ』vol.2「獣人を巡る動向」)


◆「蛮族」→蔑称
・タタラムとタタラム父の例・・・「蛮族」と「獣人」という呼称の明確な使い分け。

→タタラムがイクサル族を「獣人」と呼ぶ一方で、タタラム父やその支配下の者達は「蛮族」と呼称しており、ここに明確な対比が読み取れる。

 

◆蔑視される蛮族
・具体的事例

→「憎むべき」「鬼畜の所業」「血も涙もない」「外道」「卑劣」「下等」「下劣」「鳥ほどの脳しかない」など、激しい蔑視表現や否定的評価。
→「獣人が蔑視されている」という点は、FF14プレイヤーなら、今更指摘されるまでもなく周知の事実。しかし、歴史学においては、当たり前だと言われていることに対し、史料的裏付けをしっかりとることも大変重要な学問的営為。
・各種族ごとの固有の蔑称

 

◆注意すべきこと
・光の戦士(プレイヤー)やごく少数の理解者以外のその他大勢のエオルゼア民衆の蛮族観が、ステレオタイプな蔑視であることを現在的価値観で批判するのはナンセンス。
→敵対関係にある者に対し、蔑称を用い蔑視するのは、当然の現象。ヒト種族にとっては、むしろ敵愾心の発露として肯定的に評価される可能性すらある(前述「文明―野蛮」理解)。

◆蛮族クエストから我々プレイヤーが考えさせられること
・エオルゼアの民衆を非難することなどではなく、彼等の蛮族観を客観的に見ている我々が何を教訓とするか。
・ゲームとはあくまで娯楽だが、そこに教養的・教育的要素も少なからず存在。フィクションである、と切り捨ててはもったいない。
→古今東西あらゆる娯楽メディアから教育的要素を見出そうとした研究事例に象徴されるように、FF14という作品から何かを学ぶことも可能。

◆小括:「エオルゼア民衆の獣人(蛮族)観」から何を教訓とするか。
・歴史学の意義:過去学ぶことで、今そして未来を見据える。「歴史は現在と未来を映す鏡」
※ゲーム内でのマナーの問題を考える。
※ラムウの台詞「人がいる限り、この世から、穢れと争いが無くならぬ道理よな」


―――
※こういうのもあるよ!FF14関連の論文
・高田佳輔「オンラインゲームコミュニティにおける合理的問題解決能力・チームワーク能力─Final Fantasy XIVの参与観察を通じて」『社会情報学』5巻1号、2016年9月号

 

史学者 kaede takagaki